長野さんの展示スタイルといえば、白い壁に虫ピンでとめられた写真。
「装い」をしない裸の写真が意図としているものは何でしょう。
「見せる」という形の究極かもしれません。
塵も積もれば山となる■ 富士山■そこに山があるから■
新燃岳■ 炭坑跡■一山一家■ 三宅島雄山■六坑ボタ山
鉛筆の削りかす■ 神幸祭の山笠■ 枯れ木も山の賑わい
平尾台模型■ 国破れて山河在り■もみ殻■ 香春岳■ ボタ山型モニュメント
新燃岳■ 炭坑跡■一山一家■ 三宅島雄山■六坑ボタ山
鉛筆の削りかす■ 神幸祭の山笠■ 枯れ木も山の賑わい
平尾台模型■ 国破れて山河在り■もみ殻■ 香春岳■ ボタ山型モニュメント
ひとつひとつの作品に、タイトルをつけることで、それぞれが独立した強い存在になる気がします。
長野さんの感覚は、私の中にいっさい無いので、私は「ただ作品の前に立つ」ことをします。まるで写経でもしてるような、究極にニュートラルな存在です。それはとても大事なことのような気がします。
(さくらぎ)
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